広島県 文化遺産 原爆ドームを見学に行ってきました。

なぜ原爆ドームが残っているのか?不思議に思い広島まで見学に行ってきました!!

唯一の被爆国として「二度と同じような悲劇が起こらないように」と戒めや願いをこめて世界遺産に登録されている原爆ドームです。実際、目の前にすると原爆の衝撃波の凄まじさを実感します。私が書けるほど簡単な歴史ではありませんが二度と原爆ドームのような悲惨な建物が世界の国のどこかに残る事の無いようにと原爆ドームを見て思いました。

原爆の威力となぜ原爆ドームが全壊しなかったのか?

(昭和20年)8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約600メートルの地点(現島外科内科付近)で炸裂した。
原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達した。0.8秒後には、前面に衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風(参考として、気温30℃時の音速は秒速349メートルである)が襲い、350万パスカルという爆風圧(1平方メートルあたりの加重35トン)にさらされた。このため建物は、原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊したが、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存した。
ドーム部分が全壊しなかった理由として、
1、衝撃波を受けた方向がほぼ直上からであったこと
2、窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜ける(ドーム内部の空気圧が外気より高くならない)条件が整ったこと
3、ドーム部分だけは建物本体部分と異なり、屋根の構成材が銅板であったこと。銅は鉄に比べて融点が低いため、爆風    到達前の熱線により屋根が融解し、爆風が通過しやすくなったこと
などが挙げられている。ドーム部分は全体が押し潰されるほどの衝撃を受けなかったため、爆心地付近では数少ない被爆建造物(被爆建物)として残った。

上記が全壊しなかった理由としてあげられています。原爆の投下を予想して屋根の構造材を銅板にしり、爆風を吹抜けさせるために窓を多くしている訳ではないですが色々な偶然が重なって全壊しなかったのだと学びました。

原爆ドームという建物が戦争の悲惨さを伝え、そして二度と同じことが起こらないようにとの願いを伝える建築物だと学びました。

ふとした思いからの旅でしたが、建築に携わる者として本当に感慨深い旅となりました。

 

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